差別のこと

細かすぎるツッコミ…

書いてる本人も、細かすぎるツッコミと自覚しつつ、それでも書いてしまう、困った性格のぼく…


まずは、ご存じ、上野千鶴子さんのtweetを紹介…
上野千鶴子
李明博前大統領は拙劣な政治行動をとったけれど、彼が慰安婦問題について語った発言は適切だった。「このまま慰安婦の被害者たちが死に絶えてしまえば、日本は彼女たちに謝罪することで名誉を回復する機会を永遠に失うだろう」と。
上野千鶴子さんのご意見も、もっともだとぼくは思いますが

「李明博前大統領は拙劣な政治行動をとったけれど」…という枕詞が

はたしてこのtweetに必要だったのか…という点については、違和感を感じました

(なんか、日本では、こういう書き方をすることが「お約束」になってるんでしょうかね…?)


…と書くと、「アンタ、そんなトコまで突っかかんのは、いくらなんでも気にしすぎや!」…と

思われる方がいてはるかも知れません

…が、「李明博前大統領の拙劣な政治行動」とは、「竹島(独島)訪問」のことであると思われるところ

それと、このtweetのテーマである「従軍慰安婦問題」と、いったいなんの関係があるのか…と言うたら、

それは(ほとんど)なんの関係もない…ということでありますから

ここは、「李明博前大統領も悪かったけど、慰安婦問題に関して言うてることは正しい」…なんていう

よくわからないバランスを取る必要もなかったんじゃないかとぼくは感じた次第です


ちなみに、上野さんが稚拙だ…と評価した「李明博前大統領の竹島(独島)訪問」でありますが

過去に、これとよく似たことがあったんですよね

みなさん、覚えてはりますかね? 

ロシアのメドベージェフ前大統領が旧ソビエト時代からを含めて

ロシアの国家指導者として初めて北方四島の国後島を訪問したことを…

(→あれは2010年の11月でしたわ)

で、ぼくは上野さんのtweetを読んで、このことを「思い出す」まで、

ロシア大統領の国後島訪問のことを「すっかり忘れてた」わけでして、

それはぼくだけではなく、多分日本の市民の多くも、それはすっかり忘れてること…というか、

少なくとも、今ではほとんど気に留めなくなってること…になってるんやないでしょうか


ぼくね、「李明博前大統領の竹島(独島)訪問」と、「メドベージェフ前大統領の国後島訪問」は

「日本側から見て」ほぼおんなじような行動やと思うんですけど

なんで一方はすっかり忘れてあげて、もう一方はこうして今でもことあるごとに取り上げられてるのか…

そういうことも、ぼくは非常に気になるところです…


ちなみに、メドベージェフ氏は、大統領を務めて首相になった後の2012年7月にも国後島を「再び訪れて」、
「これは古来のロシアの土地だ。一寸たりとも渡さない」
「私はまた訪問するし、諸閣僚も続く」
…と言うてはったんですけど、

こういう「李明博前大統領の竹島(独島)訪問」時にはなかった「強烈なアピール」をされても

やっぱり綺麗に忘れてあげてる…というのも、考えてみれば不思議な話ではあります…

「逆差別」という言葉の正体は…

今まで何度か、自民党で出世していく「輝かしき」女性議員たちについて取り上げてきましたが

別に取り上げるほどでもないか…と思ってた新法務大臣の松島みどり議員が

なかなかどうしてツッコミどころを提供してくれる方だったので、

今回はネタの前フリとしてちょこっとイジッてみることにします


まずは、松島みどり議員の過去のよくわからない発言集を紹介するweetから…
「逆差別」は、差別が好きな人が日常的に使う言葉です。テストに出るから良い子はよく憶えておきましょう 松島みどり法務大臣が暴言連発「イラン人受刑者の宗教上の豚肉なしは逆差別」など -
NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2140989315783699801
ちなみに、このtweetに出てくる「逆差別」という言葉が使われたのは、以下の発言です↓

外国人受刑者の扱いの問題について伺いたいと思います。

   過剰収容の中の一つの問題としては、外国人受刑者が非常にふえている、このことがあると思います。私、府中刑務所を見たときに思った感想としましては、例えば、イラン人は宗教上の理由で豚肉なしのメニューをわざわざつくるですとか、あるいはパン食したかったら希望をとるとか、逆差別でずるいんじゃないかと…(第162回国会 法務委員会:平成17年3月30日)

松島みどりさんは、日本の刑務所に服役しているイラン人受刑者が

「(イスラム教で忌避される)豚肉を材料にしない食事を提供されていること」や

「(米食の習慣がないか少ないと思われるが故に)パン食を希望できること」などが

「逆差別」で「ずるい」…と、えらく憤慨されているようです


しかしながら、ぼくの素朴な頭で考えるに

そもそも「日本の刑務所」で、「外国人であるイラン人受刑者」が

損することはあってもずる(≒得すること)ができる…なんてことがあるわけない…と思うところ

松島議員が「ずる」として挙げた二つの例は、いずれも「ずる」には該当しないこと、

すなわち、イラン人受刑者が「得をすること」にはなってないことは

説明する必要がないくらいの話ですわ

(なので、これがなんで「ずる」にならへんのか…なんていう「アホらしい説明」はもうしません…)


この新法務大臣の過去の「訳わからな過ぎて聞いてる方が戸惑ってしまう発言の数々」については

リンク先のページを参照してもらうこととして、

今回は「逆差別」という言葉について考えてみたいと思います

…と言いつつ、冒頭で紹介したtweetでは、

「逆差別」という言葉を好んで使う人の特性が正確に説明されてますので

「逆差別」という言葉そのものがどういう趣旨で用いられるのか…についても

説明はいらないように思いますが、

この言葉に関して的確な指摘をしてはる別のtweetがあったので、挙げておきます
◯◯は逆差別!というのは要するに、自分が日常的に差別したり嫌悪している対象が、公平性や人権の観点から配慮されたり場合によっては優遇されることが気に入らないという、下衆な感情の表れである。こんな輩が法務大臣とか、ジョークにしてもたちが悪すぎ。
…ということで、「逆差別」という言葉は

「内に秘めてた差別心」がポロッとでてくる場面で使用される「決めぜりふ」でありまして

結局、この人もそういう人だった…ということでええかと思います

(こんな人だから、大臣になれたのね…)


・・・と、ここで終わってもうたら、あんまりあっさりしたエントリーになってまうので

いつものぼくのクセでダラダラ続けてみると、

「内に秘めてた差別心の吐露」として出てくるのは、なにも「逆差別」という言葉だけではありません

例えば、こういうタイプの人もネットでは必ずと言っていいほど登場しますよね↓
ベビーカーの話もそうだけど、「私は差別するつもりないよ。とても理解できる。でもね、わざわざラッシュ時に乗ることないと思うんだ」的な一見良識あるとみせかけて差別と無理解を遂行的に示す「わかるよ、だけど」論法はほんとに許せない。
ぼく、思うんですけど、こういう言い方をする人って、結局、差別したい心情を隠せてないんですわ

(つまり、「弱者として保護されたいのなら(文字通り)弱者のように大人しくしてろ」っていう、
  差別心を吐露してるんですからね)


昔、辛淑玉さんが

「弱者(≒少数者)が弱者らしく振る舞う限りにおいては、強者や多数者の「施しのような配慮」を受けること
  ができるけれど、弱者がいったん声を上げれば、途端に強者の怒りを買い、その「施しのような配慮」が奪 
  われるとともに、攻撃を受けることになる」(→注:この文章は正確な引用ではありません)

というようなことを言うてはったんですけど、

「弱者は弱者らしく振る舞え、権利主張など以ての外だ」…という強者の意識は、差別そのものです

なので、「差別はいけないよ、だけど…」という「留保」をつける人の意見には要注意です。。。

米倉斉加年さんと朝鮮

ぼくの大好きだった俳優の米倉斉加年(よねくら まさかね)さんが亡くなりました

米倉さんは、ぼくとつで飄々とした雰囲気を漂わせる人でしたけど

ぼくは米倉さんが昔からものすごくインテリに見えてました


インテリというのは「知識人」ということで、「いろんなことを知ってる人」というコトなんですけど

ぼくはそんなことよりも、「批判精神の旺盛な人」こそ、真の知識人やと思ってるんです

(と同時に、想像力の豊かな人も、真の知識人に該当すると思います)


そういう点で、ぼくは昔から、米倉さんがあのぼくとつで飄々とした雰囲気の中に

鋭く光る批判精神をもってはる真の知識人のように思ってまして、

そういうところも、ぼくが米倉さんに惹かれる理由でした


そんな米倉さんには、俳優としての演技の思い出もいろいろあるんですけど

米倉さんといえば「モランボン」…

そう、もうずいぶん昔の話になってしまいましたが、米倉さんが出演されたCMのことを

ぼくは懐かしく思い出します


では、ここであるtweetを紹介しましょう
米倉斉加年さんとモランボンのジャン
「日本人である米倉さんの『そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?』という言葉は、植木等さんの父親徹誠さんが『俺は部落民じゃない、と言ったその瞬間からそれは部落差別なんだ』と語ったという話を思い起こさせる」
リンク先の記事を参考に書きますけど

米倉さんは1979年に、食品メーカー「モランボン」が製造する焼き肉のたれ「ジャン」のCMに出演されます

この食品メーカーの経営者は在日コリアンであり、

この商品は「朝鮮の味」を売り物にしたものだったのですが

その頃は今以上に(…というか、今とほとんどおんなじくらい)在日コリアンに対する差別感情が

社会に蔓延していて、TVCMのなかで「朝鮮」という言葉が出てくることは

ほとんどなかったと記憶しています


当時、この企業のCMは何度となく放送局から拒否され、また、「朝鮮」を掲げた企業のコマーシャルに

出演してくれる俳優を見つけるのも大変だったそうですが

そんななかで、米倉さんは「朝鮮の味、ジャン!」というナレーションと共に

朝鮮風のパジチョゴリを着て、この商品のコマーシャルに出演したのでした

(ぼくもそのCMを見たときは、いろんな意味でビックリしたもんです…もちろん、よい意味で)


ところが、米倉さんはそのCMに出演したせいで、メディアへの露出が激減してしまいます

(それはつまり、朝鮮人の味方をする者への兵糧攻めで、俗に言う「干された」…ということです)


ここからは、リンク先の記事をそのまま引用してみます

 もちろん米倉さんの子どもも無事ではいられなかった。学校で「チョーセンジン」といじめられて帰ってきて、「ねぇ、お父さん、私の家は朝鮮人なの?」と尋ねたそうだ。

その時、米倉さんは微動だにせず「そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?」という趣旨の言葉を子どもたちにかけた。

米倉さんは、1934年に福岡で生まれた日本人である。しかし彼は、自分は日本人だとは決して口にしなかった。それは、このコマーシャルを引き受けるときの彼の覚悟でもあったのだろう。

当時を振り返って、「あのとき、このコマーシャルはただ焼肉のタレの宣伝ではない、社会意識への挑戦であり、文化を伝える作業だと認識していたのは、全さん(=モランボンの経営者)と私と、あなた(=辛淑玉さんのこと)だけだったかもしれませんね。わっはっは」と愉快そうに語ってくれた。

朝鮮人と共に生きるということは、日本人の側にも相当の覚悟が必要なのだ。それは今でも変わらない。                         
(辛淑玉
 「サバイバル手帳:踏み絵としての朝鮮人」)

   日本人である米倉さんの、「そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?」という言葉は、植木等さんの父親、徹誠(てつじょう)さんが、「ヒトシ、俺は部落民じゃない、と言ったその瞬間からそれは部落差別なんだ」と語ったという話を思い起こさせる。
   これらの言葉は、マイノリティのみならず、マイノリティの側に立とうとする者にまで向けられれるこの社会の異常な敵意に対して、どのように向き合わなければならないかを教えてくれている。

このエピソードを読むと、ぼくが米倉さんのことを「真の知識人」だと感じていたことは

やっぱり間違っていかなったと思います。。。

国連からの「ヘイト規制」勧告

国連の人種差別撤廃委員会による日本政府に対する勧告の最終見解がまとまりました

そのなかには、いろんなコトがたくさん書かれてるようですけど、まだ和訳が見つからないので

朝日新聞に載ってた「ヘイト規制」に関する勧告のコトだけかいつまんで紹介してみます


ヘイトスピーチに対処勧告 国連委、日本に法規制促す (朝日:2014年8月30日)

国連人種差別撤廃委員会は29日、日本政府に対して、ヘイトスピーチ(憎悪表現)問題に「毅然(きぜん)と対処」し、法律で規制するよう勧告する「最終見解」を公表した。慰安婦問題についても、被害者への調査や謝罪を求めた。

日本政府関係者やジミントーの方々が好んで使う「毅然」という言葉は

本来、こういう場面で使うもんです…


勧告に法的拘束力はないが、外国人労働者への差別問題など、約30項目で是正を要請した。

またもや出てきました、「勧告に法的拘束力はない」という誤誘導説明…

(これについては、後ほどツッコミます)


ちなみに、国連からの勧告には「約30項目」と、多岐にわたる内容が含まれてるようですが

「ヘイト規制(と慰安婦)」以外の内容については新聞に出てないのと、

まだネットにも和訳が出ていない関係で、今回は触れることができません…


 東京や大阪を中心に在日韓国・朝鮮人を中傷するデモが最近活発になっていることを受け、同委員会は今回、「ヘイトスピーチ」問題について初めて勧告した。

また、ネットなどのメディアやデモを通じてヘイトスピーチが拡散している状況に懸念を表明。「ネットを含めたメディア上でのヘイトスピーチをなくすために適切な措置をとること」などを求め、ヘイトスピーチにかかわる官僚や政治家への適切な制裁を促した。さらに、ヘイトスピーチの法規制や、人種差別撤廃法の制定を要請した。

この部分では、「ヘイトスピーチにかかわる官僚や政治家への適切な制裁」なんてことが出てきてますが

日本では、官僚や政治家など、指導的地位にある人物によるヘイトスピーチがある…ということが

きっちりバレてますね…


ヘイトスピーチを巡っては今年7月、国連規約人権委員会も「禁止」するよう日本政府に求めていた。

もう、あちこちから言われっぱなし…


 今回の国連人種差別撤廃委員会の「最終見解」では、慰安婦問題についても勧告があった。日本政府に対し、「日本軍による慰安婦の人権侵害について調査結果をまとめる」ことを促した。
その上で、心からの謝罪や補償などを含む「包括的かつ公平で持続的な解決法の達成」や、そうした出来事自体を否定しようとするあらゆる試みを非難することも求めた。

「そうした出来事自体を否定しようとするあらゆる試みを非難する」…ってことになると

日本政府が、ジミントーの先生方を非難せなあかん…ということになるんですけど

現在は「日本政府≒与党自民党」ってことになってるので、

はたして、自分で自分を非難する…ということが、ジミントーの先生方にできるのか?

…というたら、ジミントーが与党である限り、それは無理…ってことになるんやないでしょうか…


ちなみに、今日の朝日新聞には、「朝日の過去の慰安婦報道の一部訂正」を受けて

「民主党の有志議員」がなんと、国連の従軍慰安婦に関する「クマラスワミ報告」の修正を求めて

政府に働きかけを行う…という仰天記事も出てたので、これはジミントー固有の話ではないですね…


 ■現状、世界の常識と落差

国連人種差別撤廃委員会が、日本政府に対してヘイトスピーチへの毅然(きぜん)とした対処を求めたのは、日本の現状と、欧州など世界の主要国の常識との間に大きな差があるためだ。

ここから、日本のガラパゴス度の話が出てきます…

 かつてユダヤ人らの大量虐殺を許したドイツでは、刑法に「民衆扇動罪」を設けてヘイトスピーチを規制するなど、欧州では厳しく取り締まる傾向が強い。

委員たちが敏感に反応したのは、欧米の認識と、日本の現状は大きく異なるためだ。ドイツは、ヘイトスピーチなどを厳しく規制。ホロコーストの事実を否定したり、公然とナチズムを賛美したりする言動も禁じており、3カ月から5年の禁錮刑などが科される。英国では、複数の法律で「ヘイトスピーチ」を取り締まる。

フランスでは、人種や民族、宗教、性などに関して、公の場で差別的発言をしたり、差別を扇動したりする発言をすれば、最高で懲役1年と罰金4万5千ユーロ(約614万円)が科される。

このように、ヨーロッパでは、「ヘイト規制」はもう、「あって当たり前」…の話になってるんです


 主要国では、日本と米国がヘイトスピーチの法規制を義務化する人種差別撤廃条約の条文について留保している。ただ、米国では、差別的な言動は大きな社会的制裁を受ける。~

憲法の修正第1条で、言論の自由を制限する法律を禁じる米国では、ヘイトスピーチを禁止する法律も原則として認められていない。ただ、差別的な発言をした人への社会的な制裁は極めて厳しい。特に人種に関する差別的な発言はまず許されない。今年に入ってからもプロバスケットボールリーグのチームオーナーの黒人に対する差別的発言が明らかになり、スポンサーが相次いで辞退。リーグも終身追放処分とし、チーム売却につながった。

この指摘はたいへん重要なことでね、アメリカも日本と同様にヘイト規制してないんですけど

少なくともアメリカでは、公人や有名人が「差別発言」をすると

それなりの「社会的制裁」が加えられるので、事実上の「ヘイト規制」が働いてるんです

(→これ、「ヘイト規制」が法律にはないだけで、社会的にはあるってことね)


とすると、「ヘイト規制もない」+「差別言動に対する社会的制裁もない」国は

「ヘイト野放し国」と思われても仕方ない…と書きつつ、日本の現状を改めて考えてみると

日本では、政治家などの公人や有名人が「ヘイト言動」をするたびに、その人気が高まって

より高い地位を得る…という、なんとも特異な現象が生じてたんでしたわ…

(こんなん、ガラパゴスなんていう段階を超えてるで…)


 日本の外務省は、法規制に慎重な理由として、「表現の自由などを不当に制約することにならないかを検討する必要がある」と説明する。しかし、今回、日本のヘイトスピーチデモを審査した委員たちからは「人種差別の扇動は、『表現の自由』には含まれない」といった意見が相次いだ。

ここは素朴に考えてもらいたいんですけどね、

日本よりも遥かに「表現の自由」を大切に考えてるヨーロッパの国々で

ひろく「ヘイト規制」が設けられてるのは、それが

「表現の自由に対する不当な制約にならないから」…でしょ


それにね、「ヘイト規制」が表現の自由を不当に制約するものであるなら

そもそも、人種差別撤廃条約の中にヘイト規制が含まれてるわけないですがな

(日本政府が日頃から「表現の自由」を大切に扱ってるならいざ知らず
 なんとかして表現の自由の範囲を狭めようとしてる日本政府が、
 こういうときだけ「表現の自由がどうのこうの…」というのは、典型的な「ためにする議論」ですわ)


■ヘイトスピーチを巡る国連人種差別撤廃委員会の勧告骨子

・(ヘイトスピーチを取り締まるために)法改正に向けた適切な措置をとる

・デモの際に公然と行われる人種差別などに対して、毅然(きぜん)とした対処をおこなう

・ネットを含めたメディア上でのヘイトスピーチをなくすため、適切な措置をとる

・そうした行為に責任がある個人や組織について捜査し、適切と判断される場合は訴追も辞さない

・ヘイトスピーチなどをあおる官僚や政治家に適切な制裁を追求する

・ヘイトスピーチの根底にある問題に取り組み、他の国や人種、民族への理解や友情を醸成する教育な
  どを促進する

これ、至極まっとうなことばっかり並んでると思うんですけど、

ジミントーにはできないことばっかりが並んでますね…

(ってことは、ジミントーは至極まっとうなことができない人たちってことね…)



では最後に、朝日の誤誘導に対するツッコミを…

(いちからわかる!) 改善勧告を出した国連人種差別撤廃委って? (朝日:2014年8月30日)

◇18人の専門家(せんもんか)が各国を調査(ちょうさ)。
   法的(ほうてき)な拘束力(こうそくりょく)はないんだ

Q 国連人種差別撤廃委員会(こくれんじんしゅさべつてっぱいいいんかい)(CERD)ってなに?

A 国連の「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(人種差別撤廃条約)」に加入している国々が、条約を守っているかどうかを調べる委員会なんだ。条約は1969年に発効。日本は95年に146番目に加入した。事務局は、ジュネーブの国連人権高等弁務官事務所のなかにある。委員会には18人の専門家がいて、各国の状況を調査し、必要だと判断すれば改善を求める勧告を出すんだ。委員会は国連事務総長に報告書も出しているよ。 ~

このコラムは、朝日新聞が子どもの読者向けに時事問題を「優しく解説」してくれる記事なんですけど

この解説を読んで頂くとわかるように…

・国連人種差別撤廃委員会とは人種差別撤廃条約に加入している国々が、
「条約を守っているかどうかを調べる」委員会であるところ
         ↓
・委員会の出す「勧告」とは、各国の状況を調査し、
「改善を求める必要がある場合」(=条約を守ってない場合)に出されるもの…なので
         ↓
その「勧告」に書かれている内容はすべて
「人種差別撤廃条約の内容を締結国が履行していないと判断されたもの」…ということになるから
         ↓
当然、締結国はその「勧告」に従う「法的義務(=条約上の義務)」がある…んです


ですので、人種差別撤廃委員会からのありがたい「勧告」について

わざわざ「法的拘束力はない」と解説する日本のメディアは

市民を誤誘導しているとともに、人種差別撤廃条約に加盟したにも関わらず

日本政府が度重なる「勧告」を無視し続けていることをも正当化するもので、ホンマに悪質ですわ…

(いちからわかる!…と言いながら、一番わかってないのは、アンタたちやないのかね…?)

彼らが最初、朝鮮人を攻撃したとき…


彼らが最初、朝鮮人を攻撃したとき、私は声をあげなかった
なぜなら、私は朝鮮人ではなかったから

次に彼らは、反核主義者を攻撃したが、私は声をあげなかった
なぜなら、私は反核主義者ではなかったから

さらに、彼らが原発事故の避難民を攻撃したときも、私は声をあげなかった
なぜなら、私は原発事故の避難民ではなかったから

そしてついに、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、周りに誰一人残っていなかった

これは、あの有名な「ニーメラーの警句」を、今の日本にあてはめて書き直したもんで

この文章に出てくる「彼ら」とは、「在特会」というヘイト集団のことを指してるんですが

「彼ら」が在特会だけにおさまってくれる雰囲気は、残念ながら今の日本にはありません


「彼ら」を在特会のような連中とだけ考えるのは実に危険かつ、呑気な話で

実は、在特会の言うてることや在特会が攻撃してる対象は

今、この国で政権を取ってブイブイ言うてるジミントーのそれと、

ほぼ重なるんやないかとぼくは感じてます

(在特会はジミントーが腹の中で思ってるけど立場上言えないコトを
  代わりに言ってあげてるような気もしますしね…)


とすると、在特会は(主に)「在日韓国・朝鮮人」を攻撃してるんやから、自分とは関係ないか…なんて

呑気に構えてても、「彼ら」がいつ在特会からジミントーに化けるかわからないし

さらに、「彼ら」の攻撃対象がいつ「自分とは無関係だと思ってた」あなたに向いてくるのか、

それもわからないんじゃないか…と、ぼくはそんなことを考えるんです


「彼ら」の攻撃はつまるところ、世の中の「弱い立場にある人」や「少数者」に向くという法則があるところ

およそ、庶民としてこの世に生まれてから死ぬまで、

社会的弱者になることがない人や少数者になることがない人は稀ではないかとぼくは思うんですが、

そうなると、(庶民である)あなたもいつ「彼ら」の攻撃対象になるかも知れない…というか、

いつか「彼らの」攻撃対象になることはほぼ確実…なのではないかとさえ思います


だから、「彼ら」の攻撃をあなたが受けないようにするためには

「自分とは一見関係がないと思われる人々」が「彼ら」の攻撃を受けているときに、

きちっとそれに反対の立場を取り、批判することがとっても大切なことだと、ぼくは考えるんです

(…と言いつつ、それを考えたのはぼくじゃなくて、ニーメラーという人なんですけど…)


ともかく、誰が考えたにせよ、歴史の教訓はみんなで共有せんともったいないので

最後に、オリジナル版、「ニーメラーの警句」を紹介して

このエントリーを終えたいと思います

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった…




ぼくがこの警句と出会ったのは、実はアメリカの有名な映画賞であるアカデミー賞の

授賞式のスピーチでして、受賞者の誰かがこの警句を出して話をしてたことをずっと覚えてて

後年にそれが「ニーメラーの警句」であると知ったんです

その他にも、アカデミー賞の授賞式では印象的なスピーチがあって、例えば

ウーピー・ゴールドバーグというブラックアメリカン女優が檀上で

「自分たちはここまでやってこれたし、これからだって進んでいける」…というような趣旨のことを

堂々とスピーチしてたことも、よく覚えてます

(このスピーチは、ブラックアメリカンの差別克服の歴史を誇るものです)


ぼく、アメリカという国(の政府)の姿勢については、思いっきり批判的なんですけど

こういうところは、なんだかうらやましいなぁ…と、思わんでもないです