何をどない書いたらええのか、というか、何をどこまで書いたらええのか迷うトコなんですけど

当ブログ、『大阪弁で世情を語る』は、お終いにしようと思てます


理由の一つには、もうだいぶん前から頻繁に表示されるようになった「ヘイト(出版物)広告」が

いつまでたっても消えてくれないことがありまして

その点について、ぼくはヤフーブログに「抗議」…というか「要望」をしたんですけど

そんな要望が通るわけもなく、

ぼくはたびたび目にするその広告にウンザリすると同時に、

ブログを開くたびに気分も悪くなってしまってたので、

もうこれは無理やな…と感じてたんです

(…と言いつつ、そういう広告がいつかは消えてくれないかな…という淡い期待をしてもいたんですが
 今回のログインでも早速出てまして、やっぱりもう限界ですわ…)


で、そういうのはブログを引越ししたらええやないか…とも思ったので

いろんなブログに手当たり次第に登録して

『新・大阪弁で世情を語る』…とか、『続・大阪弁で世情を語る』…とか、『大阪弁で世情を語る・別館』…とか

はたまた、『なんでやねん五郎のゆるい毎日』…なんていう新しいタイトルで

ブログを継続していこかと思って四苦八苦してたんですけど

頭がコチコチに固くなってるぼくには、新しいブログの入力に慣れるのはかなりハードルが高いことで

どのブログサービスも慣れる前に挫折する…ということを繰り返してしまいまして

ブログの引越しも無理やな…と感じてます


ということで、『大阪弁で世情を語る』は、これにて突然の終了ということになるんですが

最後のエントリーがこんな内容やったら、スカスカやんけ…と自分でも思うので

なんか書くことないかな…と考えるに、もう随分前に書いててボツにしてた下書きがあって

それを最後のエントリーにしよかと思います

(ボツ原稿を最後のエントリーにするやなんて、最後の最後までふざけたブログになってしまって申し訳ない
 んですが、これもぼくの「個性」の一つやと、暖かい気持ちで受け止めて頂ければ…と思てます)




若い人へ


革命を夢見るのは若者の特権です

世の中を劇的に変える…

それが(広義の)革命というものだと思いますが

若者が革命を夢見るのは、世の中を劇的に変えられると信じているからでしょう

かく言う私も、若い頃は革命のように世の中が劇的に変わることを夢想していました


しかし、いっこうに変わらない世の中に若い私が苛立っていたとき、父は私にこう言いました

「世の中というもんは急には変わらんもんや…」

父からそう言われた私は、歳をとった人間がそんなことを言って諦めているから

世の中が変わらないんだ…と、余計に苛立ったことを覚えています


若かった私に「世の中は急には変わらない…」と言った、当時の父の年齢を私はこえました

そうして私は、世の中は劇的には変えられないことを知り、

世の中が劇的に変わらないことに苛立つ気持ちも薄れたのでした


けれども、私がそう思うようになったのは歳をとったせいであり

今でも若い人は、かっての私と同じように、世の中が劇的に変わらないことに

きっと苛立っているんだろうなぁ…と思います


昔なら、世の中を変える…というような大きな夢は無理でも

マイホームママやマイホームパパになるといった夢は持てたのですが、

そういう夢を持つことさえ難しくなった今では、

若い人たちの抱える焦燥感は、私や私の上の世代の青年時代よりも深いことでしょう



私はこれから矛盾していることを若い人たちに言いたいと思います


私は歳をとって、世の中が劇的には変わらないものだということを知ったのですが

それでもやっぱり、若い人には革命を夢見て欲しいと思っているんです

若い人は現実を知らない、だから夢みたいなことを言ってるんだ…

それは一面の事実なのですが、年輪を重ねて現実を知り、

世の中は急には変わらない、もう革命なんか起きないんだ…ということを言うのが老人の特権なら

現実がどうであれ、革命を夢見るのは若者の特権だと思うからです


そういう若者の変革に対する衝動が、世の中を少しづつでも動かしてきた…

それこそが世界の進歩の原動力なのだと、私は考えます


ただ、私は世の中が急には変えられないということを重ねて若い人に言いたいのです

急には変われないものをいっぺんに変えるのだ…と訴える人は

(革命を夢見る)若者には、一見、魅力的に映るかも知れません

しかし、いくら今の世の中に失望しているからといっても

「劇的に変わること」それ自体に、価値を置かないでほしいのです

変わることが重要なのではなく、どのように変えるのか、

その内容こそが大切なのではありませんか


現在の閉塞感から、多くの人々が「内容を問わない変革」に走れば

今以上の後退をもたらす可能性が高いと私は感じています


そんなこと、歳取った人の取り越し苦労だよ…

あなたはそう思うでしょうか?


あなたが変革を託そうとしている人間が何を目指そうとしているのか、

その中身をもう一度吟味してください


「変えること」が重要ではないのです

「よくなる方向へ変えること」が重要なのです


地球は止まっているように見えても実は少しづつ動いている…

それと同じように、世界もまた、止まっているように見えても

実は少しづつ動いている…

時には歴史が後退するときもありますが、

大きな流れとしては、世界は着実に進歩している…というのが、私の実感です


「悪くなる変革」は一瞬で可能です

でも、「よくなる変革」は、とても時間と労力がかかるものであり

忍耐と努力が必要なものなのです


若い人には、それを忘れないで、革命を夢見て欲しい…

それが私の願いです




この下書きは、たしか、いつかの国政選挙の前に書いたもんなんですけど

なんかこう、しっくりけえへん…というか、

こんなんアップせん方がええわ…と思てボツにしたものの、

この内容はブログの最後のエントリーに使えるかも知れへん…と

その時から考えてたもんです


この下書きがなんでしっくりけえへんかったんか…とゆうたら

それはひとえに「説教臭い」からでして、ぼくは若い頃、「人に説教する大人にはなるまい」と思てたのに

気がついてみたら、こんな「説教じみた」文章を書いてる大人になってしまいました


…ということで、ぼくは、いろんな意味で若い人に期待したいと思てます。。。

(もちろん、若い人だけではなくて、人間そのものにぼくは夢を持ってます)