2014年10月

お知らせ…

何をどない書いたらええのか、というか、何をどこまで書いたらええのか迷うトコなんですけど

当ブログ、『大阪弁で世情を語る』は、お終いにしようと思てます


理由の一つには、もうだいぶん前から頻繁に表示されるようになった「ヘイト(出版物)広告」が

いつまでたっても消えてくれないことがありまして

その点について、ぼくはヤフーブログに「抗議」…というか「要望」をしたんですけど

そんな要望が通るわけもなく、

ぼくはたびたび目にするその広告にウンザリすると同時に、

ブログを開くたびに気分も悪くなってしまってたので、

もうこれは無理やな…と感じてたんです

(…と言いつつ、そういう広告がいつかは消えてくれないかな…という淡い期待をしてもいたんですが
 今回のログインでも早速出てまして、やっぱりもう限界ですわ…)


で、そういうのはブログを引越ししたらええやないか…とも思ったので

いろんなブログに手当たり次第に登録して

『新・大阪弁で世情を語る』…とか、『続・大阪弁で世情を語る』…とか、『大阪弁で世情を語る・別館』…とか

はたまた、『なんでやねん五郎のゆるい毎日』…なんていう新しいタイトルで

ブログを継続していこかと思って四苦八苦してたんですけど

頭がコチコチに固くなってるぼくには、新しいブログの入力に慣れるのはかなりハードルが高いことで

どのブログサービスも慣れる前に挫折する…ということを繰り返してしまいまして

ブログの引越しも無理やな…と感じてます


ということで、『大阪弁で世情を語る』は、これにて突然の終了ということになるんですが

最後のエントリーがこんな内容やったら、スカスカやんけ…と自分でも思うので

なんか書くことないかな…と考えるに、もう随分前に書いててボツにしてた下書きがあって

それを最後のエントリーにしよかと思います

(ボツ原稿を最後のエントリーにするやなんて、最後の最後までふざけたブログになってしまって申し訳ない
 んですが、これもぼくの「個性」の一つやと、暖かい気持ちで受け止めて頂ければ…と思てます)




若い人へ


革命を夢見るのは若者の特権です

世の中を劇的に変える…

それが(広義の)革命というものだと思いますが

若者が革命を夢見るのは、世の中を劇的に変えられると信じているからでしょう

かく言う私も、若い頃は革命のように世の中が劇的に変わることを夢想していました


しかし、いっこうに変わらない世の中に若い私が苛立っていたとき、父は私にこう言いました

「世の中というもんは急には変わらんもんや…」

父からそう言われた私は、歳をとった人間がそんなことを言って諦めているから

世の中が変わらないんだ…と、余計に苛立ったことを覚えています


若かった私に「世の中は急には変わらない…」と言った、当時の父の年齢を私はこえました

そうして私は、世の中は劇的には変えられないことを知り、

世の中が劇的に変わらないことに苛立つ気持ちも薄れたのでした


けれども、私がそう思うようになったのは歳をとったせいであり

今でも若い人は、かっての私と同じように、世の中が劇的に変わらないことに

きっと苛立っているんだろうなぁ…と思います


昔なら、世の中を変える…というような大きな夢は無理でも

マイホームママやマイホームパパになるといった夢は持てたのですが、

そういう夢を持つことさえ難しくなった今では、

若い人たちの抱える焦燥感は、私や私の上の世代の青年時代よりも深いことでしょう



私はこれから矛盾していることを若い人たちに言いたいと思います


私は歳をとって、世の中が劇的には変わらないものだということを知ったのですが

それでもやっぱり、若い人には革命を夢見て欲しいと思っているんです

若い人は現実を知らない、だから夢みたいなことを言ってるんだ…

それは一面の事実なのですが、年輪を重ねて現実を知り、

世の中は急には変わらない、もう革命なんか起きないんだ…ということを言うのが老人の特権なら

現実がどうであれ、革命を夢見るのは若者の特権だと思うからです


そういう若者の変革に対する衝動が、世の中を少しづつでも動かしてきた…

それこそが世界の進歩の原動力なのだと、私は考えます


ただ、私は世の中が急には変えられないということを重ねて若い人に言いたいのです

急には変われないものをいっぺんに変えるのだ…と訴える人は

(革命を夢見る)若者には、一見、魅力的に映るかも知れません

しかし、いくら今の世の中に失望しているからといっても

「劇的に変わること」それ自体に、価値を置かないでほしいのです

変わることが重要なのではなく、どのように変えるのか、

その内容こそが大切なのではありませんか


現在の閉塞感から、多くの人々が「内容を問わない変革」に走れば

今以上の後退をもたらす可能性が高いと私は感じています


そんなこと、歳取った人の取り越し苦労だよ…

あなたはそう思うでしょうか?


あなたが変革を託そうとしている人間が何を目指そうとしているのか、

その中身をもう一度吟味してください


「変えること」が重要ではないのです

「よくなる方向へ変えること」が重要なのです


地球は止まっているように見えても実は少しづつ動いている…

それと同じように、世界もまた、止まっているように見えても

実は少しづつ動いている…

時には歴史が後退するときもありますが、

大きな流れとしては、世界は着実に進歩している…というのが、私の実感です


「悪くなる変革」は一瞬で可能です

でも、「よくなる変革」は、とても時間と労力がかかるものであり

忍耐と努力が必要なものなのです


若い人には、それを忘れないで、革命を夢見て欲しい…

それが私の願いです




この下書きは、たしか、いつかの国政選挙の前に書いたもんなんですけど

なんかこう、しっくりけえへん…というか、

こんなんアップせん方がええわ…と思てボツにしたものの、

この内容はブログの最後のエントリーに使えるかも知れへん…と

その時から考えてたもんです


この下書きがなんでしっくりけえへんかったんか…とゆうたら

それはひとえに「説教臭い」からでして、ぼくは若い頃、「人に説教する大人にはなるまい」と思てたのに

気がついてみたら、こんな「説教じみた」文章を書いてる大人になってしまいました


…ということで、ぼくは、いろんな意味で若い人に期待したいと思てます。。。

(もちろん、若い人だけではなくて、人間そのものにぼくは夢を持ってます)

人材こそが日本の誇る資源だと、あの人は言った

このたび、日本の研究者がいっぺんに3人も、ノーベル物理学賞を受賞したことを受けて、

日本国総理大臣である安倍晋三くんはさっそく、

「人材こそが日本の誇る資源」…というコメントを発表しました


そらそうや、ノーベル賞を取るような「優秀な人材」は日本の財産…と

ぼくも一瞬、思わんでもないんですけど、

今回ノーベル賞を受賞した3人のうち、一人はアメリカの大学の教授になってたんですよね

(これは素直に考えて、「(優秀な)人材の海外流出」ってことになると思います)

とすると、晋三くんの言う通り、仮に、「人材こそが日本の誇る資源」なのだとしたら

その貴重な資源を海外に持って行かれないようにする…というのが、

日本の生きる道(…というか、彼らが言うところの「成長戦略」)ってことになると思うんです


ところが、つい最近、社員が発明した特許権が、原則、企業側に渡るような法改正案が

政府与党から出てまして、これはどない考えても

(優秀な)人材の海外流出を加速させることにしかならへんのやないか…と、ぼくは考えるんです

そやかて、このたびの受賞者のなかでアメリカの大学に職を得た人は

発明した特許の報酬を巡って会社と対立して、結局その会社を退職し

アメリカの大学からスカウトされて、アメリカに渡ったわけですので

社員発明の特許権は原則、社員にあるという現行の制度の元でも

発明に見合った対価が得られなかったから…という形での海外流出があるのに

それが最初から企業のモノってことになると、技術開発に携わる社員のモチベーションは下がり

人材のさらなる海外流出に繋がることにしかならんやんけ…と思うからです


晋三くんは、その他にもコメントのなかで

"この受賞を契機に、…人材力の育成を強力に進めるとともに、魅力あふれる研究環境を整備することで、
 我が国が「世界で最もイノベーションに適した国」となるよう目指してまいります。"

と述べてるんですけど、なんでこういう、「言うてることと、やってることが逆さまなこと」を

臆面もなく堂々と言えるのか…

それは誠に不思議な光景としか言えないんですが

これほど「言葉の軽い」人間が政治をやったらアカンやろ…というのが、ぼくの素直な実感です

(…というか、「言葉の軽い人」って要するに、「人間としても軽い」ってことやしね…)




※最後に…

晋三くんの「空疎な言葉」とは裏腹に、日本の厳しい…というか、遅れた研究環境について

このたびのノーベル賞受賞者の一人が語る記事があったので、紹介しときます

ノーベル賞、勝因は「怒り」=日本企業に苦言も―中村さん(時事通信 10月8日)

【サンタバーバラ(米カリフォルニア州)時事】青色発光ダイオード(LED)の開発でノーベル物理学賞の受賞が決まった米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授の中村修二さん(60)は7日、同校で記者会見し、「怒りがすべてのモチベーションだった。怒りがなければ何も成し遂げられなかった」と研究生活を振り返った。~

社員時代は青色LEDの開発に孤軍奮闘。退職後は発明の対価をめぐって日亜化学と裁判で闘った中村さんは、鋭い言葉で日本の研究環境や企業を批判してきた。会見では米国を研究拠点に選んだ理由について「研究者に多くの自由が与えられ、一生懸命やれば、みんなにチャンスがある」と語り、「日本では性別や年齢などの差別により、全員にチャンスがあるわけではない」と残念がった。~


休んだ自分が許せないと、あの人は言った

プロ野球の東北イーグルスの監督やった星野さんが今期限りで辞めることになったそうです

星野さんは今期、病気のために2ヶ月ほど休んでたんですが

退任のインタビューではそのことを

「休んだ時点で自分が許せませんでした」って言うたんです


休んだ自分が許せない…


この言葉はどない受け取ったらええのか、ぼくははなはだ戸惑ってるんです

そやかて、これ、言うてる人の意図によっていろんな意味に化けると思うからです


星野さんは、「それくらいオレは自分に厳しい人間や」…ということを

言外にアピールしたかったんでしょうか

それとも、「仕事を休まなあかんような(重い)病気にかかったことそれ自体」が

許せない(=受け入れられない)と言うてるんでしょうか

はたまた、ぼくの想像できないそれ以外の意味があったんでしょうか…


ぼくはここで、ぼくの勝手な想像に乗っかって書いてみるんですけど

「重い病気にかかって、仕事を休んだ自分を許せない」という人間が

果たして、「重い病気にかかって、仕事を休んだ他人」を許してくれるのか…なんてことを考えると

ぼくは、この星野監督の言葉が、背筋が寒くなるほど怖い言葉として響いてくるんです

(そやかて、聖人でもない人にとっては、自分に甘く他人に厳しく…というのが、人情ってもんですからね)


そして、「仕事を休まなあかんような重い病気にかかったことそれ自体」が

(自分であろうが他人であろうが)許せない…んだとしたら

星野さんは、この世で重い病気にかかってる人が許せない…ということになってしまうんですけど

さすがにそれは、ぼくの考えすぎ…ということに一応はなるとは思うんです

(そやかて、病気になることそれ自体を「(自己)責任」にされたら、そら、かなわんコトですからね)


で、結局、ぼくはこの星野さんの「休んだ自分が許せない…」っていう言葉が意味不明で、

この人が何を言いたいのか(何をアピールしたいのか)、さっぱりわからんのですけど

もし、星野さんのこの言葉の真意について、ワタシにはわかる…という人がいらっしゃいましたら、

お手数ですが、コメント欄でその真意をご教示して頂ければ幸いです。。。




ところで、東北イーグルスの次期監督は、星野さんの推薦もあって

大久保なんとか…という人に決まったそうです

しかしながら、この大久保なんとか…という人は、今まで数々の「事件」を起こしてきた人でありまして

ぼくはこの人が、「人の上に立ってよい人間」(=監督という地位に就いてよい人間)であるとは

まったく思わない…というか、そういう地位に就かせることを一番忌避せなあかん人やと思うんですが

そういう人を自分の後任に推薦した星野という人は、結局

言うてることも、やってることも、ようわからん人…ということになると思います

(ついでに言うと、そのような人物をすんなり次期監督にすることに決めてしまった、
 東北イーグルスのオーナーも、まったくわからん人ですわ)

俺は、アンタが一番悪いと思うで、徹ちゃん…

今回のエントリーは大阪ローカル、かつ、しょーもないネタで

ホンマやったらこんなネタを取り上げんと、他のネタを優先すべきや…と、自分でも思うんですけど、

ぼく、厚顔無恥なヤツを見ると、どうしても、ひとこと言いたくなるので

書いてみたいと思います


まずは、この「どこにでもあるような公務員の業者との癒着」の記事を読んでください

<大阪市交通局>幹部ら不適切会食…一般職は内規違反 (毎日新聞 10月4日)

大阪市交通局の幹部ら5人(特別職3人、一般職2人)が今年4月、大手広告代理店の社員らと会食していたことが分かった。市の内規「公正契約職務執行マニュアル」は、同社など市の入札参加資格がある業者と、契約に関係する一般職との会食を規制しており、市は「抵触する」としている。5人のうち4人は、同社が7月に受注したシンポジウム事業の公募審査に関わったが、特別職は規制の対象外で、市は制度の改正を検討する。

◇入札参加資格業者と

関係者によると、会食は4月25日、大阪市北区のビアホールであった。交通局側は藤本昌信局長、調査役ら特別職3人と、理事と部長の一般職2人の計5人が出席。同社側は役員と担当者ら計4人が参加した。

同社は2月に市営地下鉄の乗車人員増に関する企画を藤本局長らに提案。会食は同社が呼びかけ、飲食費は割り勘したという。調査役は同社の担当者と2人で会食もしていた。

同社は、交通局による「市営交通110周年記念シンポジウム」の公募に応募。6月30日、計4社の企画提案を会食に参加した藤本局長と調査役、一般職2人ら計8人が審査し、最高得点だった同社が1389万円で受注した。シンポは8月24日に市中央公会堂(同市北区)で開かれた。

同社は取材に4月の会食について「内規は承知していなかった。営業行為ではなく意見交換だった」と回答。藤本局長は「4月段階では利害関係はなく、部下は勉強させたいと思い誘った」と説明した。双方とも会食時にシンポの話はなかったとしている。

市契約管財局は、特別職は市長や副市長を想定しており、「政治的活動がある」との理由で内規の規制対象から外しているという。同局は「公募審査に特別職が直接関わることは想定していない」としている。

これね、いつもやったら、「またこんなことしとるな…」というくらいの、

呆れたの感想しか出てこない記事なんです

けど…

この記事のなかに出てくるヤツがあまりにも厚顔無恥なので、ぼくはツッコまずにはいられへんのですわ


で、まず、この記事に出てくることを整理しますと、

・大阪市交通局の局長が他の幹部とともに、今年の4月に、部下である一般職員を業者との会食に誘った

・その業者は今年の7月に大阪市交通局主催のシンポジウムの公募に応募し、みごと受注に成功した

…ということで、これだけでも十分、批判を受けるには十分すぎる「状況証拠」が揃ってるんですけど

この交通局長は、当初、別のTVニュースのインタビューでは、

「(会食をした)4月の時点では(交通局主催の)シンポジウムの話は出てなかったので問題ありません」

…と言うてて、形式的には「契約に関係する一般職との会食を規制する大阪市の内規」には違反しない…

開き直ってたんです


しかしながら、そもそも、この会食は今年の2月に、大阪市交通局にある企画を提案した業者が

交通局長らに提案してセットされたもので、その経過を振り返ってみると

2月の業者による企画提案→4月の交通局幹部との会食→7月の企画受注…という、

まことに「わかりやすい展開」になってるわけですから

形式的に内規違反になってないから問題ないねん…という話にはなりませんよね


なので、大阪市の最高責任者たる橋下さんちの徹ちゃんも、これは見過ごせない…と

こんなことを言うてるんです↓

大阪市交通局 会食問題 橋下市長外部調査の考え (MBS:10/06)

大阪市交通局の幹部が、内規で禁止されている入札参加資格のある業者と会食していた問題で、橋下市長は外部調査を行う考えを示しました。

この問題は今年4月、大阪市交通局の局長ら幹部5人が、市の内規で禁止されている入札参加資格のある広告代理店の社員と会食していたものです。

6月にこの代理店が交通局の事業に応募し、会食に参加していた幹部4人が審査を行い、この代理店に決定しました。

これに対し、橋下市長は外部調査を行う考えを示しました。

「行政ですから、民間企業じゃないので、そこの認識が甘すぎた。外部調査を使います。局長自身も調査の対象なので」(大阪市 橋下徹市長)

また市議会では公募の審査をした1人が、この代理店に高得点をつける一方、他社には低い点をつけていたことが明らかになっています。

そらそうや、こんなミエミエの展開をたどったんやから、それくらいして当然や、

今回のコトに限っては、橋下市長を評価せんとな…

この記事を読んで、そう感じた方もいらっしゃることでしょう


…が、ぼくはそんな「評価」は致しません

その訳はと言うと…


みなさん、これらの記事を読んで、誰が一番悪いと思いました?

公募の審査で不自然な採点をした人…ですか?

いやいや、ぼくはそない思いません

なぜなら、そもそもこの会食は、大阪市交通局のトップである藤本昌信局長が業者の要望に応じて

わざわざ一般職員を誘って実現したものですので、

業者との癒着という点では藤本昌信局長が「一番濃かった」んですから

そら、藤本昌信局長が一番悪い…ということになりそうなんですが…


実は、この藤本昌信という人物は民間から大阪市の交通局長に抜擢された人物でして

ほな、いったい誰がこんなデタラメなヤツをスカウトしてきたんや?…というたら、

それは…橋下徹ちゃん、アンタやんか!

…ということになっとりますので、徹ちゃんは今回の件で憤る前に

こんな人物を交通局長にした自分自身の「人を見る目の無さ」を猛省してもらわんとアカンし

それについて市民にちゃんと謝ってもらわんとアカンと、ぼくは思ってるんです

(今回の件に関しては、任命責任者かつ大阪市の最高責任者であるアンタのことを含めて怒ってんのは
  こっちの方やから、アンタがカメラの前で他人事のように怒るのは筋違いやねん、徹ちゃん…)


このように、謝罪する立場(≒責任を負う立場)にあるにもかかわらず、

その立場をきれいさっぱり忘れつつ、ちゃっかり、怒ってる市民の側に身をおいて

市民の(怒りの)共感を盗もうとするのは、橋下徹の常套手段…というか、端的に詐欺まがい行為でして

あの人はこういう『立場すり替えの術』をよく使うので、

大阪市民のみなさんには決して、このような忍法(…というか政治的詐術)には、

騙されないで頂きたいと思う次第であります




それにしても、こういう事情をなんでちゃんと記事のなかで解説してくれへんのか…

それはホンマに不思議な話であるし、かつ、けしからん話であると、ぼくは強く思います




2番目に紹介した記事は、MBSという大阪毎日放送のTVニュースの文字起こしなんですけど

このニュースでは、外部調査をする…という橋下市長の声だけを映像入りで流した一方で

TVでいったん流していた、「4月の時点ではシンポジウムの話はまだ出てなかったので問題ない」という

藤本昌信交通局長の開き直りインタビュー音声をわざわざ消してネットにあげておりまして

ぼくは、なんでこんな小細工をするんやろ…と、強く思った次第です

(いったい、MBSは誰をかばってんねん!)

現代の棄民

前回のエントリーでは、戦争に繋がりのある「棄民」について書いたんですが

今日、たまたま、国会中継で、民主党の議員が政府の目指す派遣法改定に関する質問のなかで

「(すでに)日本の20代の若者の半数が(派遣を含む)非正規雇用になってる」…という話をしてたんです



こんなことは言うまでもありませんが、

非正規雇用でスタートした人が、正規雇用になるのはたいへん難しいことで、

非正規雇用者はいくつになっても、ずーーーーーっと非正規雇用である可能性が限りなく高く

ゆえに、将来にわたる雇用の不安定(=人生そのものの不安定)が約束されてしまうわけですが

そうすると、現在20代の若者(=これからこの国を支えていく人たち)の半分が

人生が不安定のまま生きて行かざるを得ない…という状況にあるってことですよね


ここで、よく「自己責任」ってことで、非正規になってしまったのも自己責任なら

そこから正規雇用に移れないのも自己責任…と、

この世の矛盾はなんでも自己責任にしてしまう人がときどきいてるんですが

このたび、政府(与党)が目指す派遣法改定の柱は

・派遣対象業務の自由化(→基本的にどんな仕事でも派遣で補えることになる)

・派遣期間制限の撤廃(→人を変えれば、永久派遣も可能になる)

…ということで、これはどう考えても、派遣労働者(=非正規労働者)を増やす法律でありますから

国が率先して派遣労働者を増やそうとしてるこのような状況下で

多くの若者が派遣労働者になってしまうこと、および、そこから抜け出せないということは

決して「自己責任」の一言で片づけられるコトではありません

(∵それは個人的問題ではなく、社会の「構造的問題」だからです)


ここからまたちょっと回りくどい話をして恐縮なんですけど

そもそも「国」というもんは、主権者たる市民が、

自分たちの自由や権利を実現するため(守るため)に組織するもんです

(つまり、国家というもんは、主権者たる市民の自由や権利の実現(=幸福追求)のために
 存在するもんでありまして、そのような目的を実現するための手段に過ぎないということです)


ところが、「人件費を削りたい」、「雇用責任を軽くしたい」…などの、経済界という「組織」の意向に従い、

主人公たる市民の暮らしを犠牲にする(=不安定にする)現在の自民党政権は

もともとの国の責務であった、「市民の暮らしを守ること」を放棄してる…としか思えないわけで

これは、(広い意味の)棄民であるとぼくは思います


…ということで、棄民は決して過去の話ではなく、

ぼくたちはまた国家から棄民されつつあるんやないか…というお話でした。。。