前回のエントリーでは、最後に「自画自賛」というもんについて触れましたけど
偶然にも、韓国の朝鮮日報日本語版にこんな記事が出てましたわ↓
ぼくも随分前から感じてましたけど、「嫌韓」や「反中」本の氾濫とともに、
最近、日本では、「日本はこんなにすばらしい」…という「自画自賛」が大流行ですわね
(これは何も出版物だけの話ではなくて、TVでもそんな番組が多いですよね)
で、ぼくは前回のエントリーでも書いたように、自画自賛ほど愚かしい行為はない…と思ってまして
こういう「自画自賛」現象を前から、「なんか、気味悪いなぁ…」と感じてたんです
そんでも、世の中、何事にも原因っちゅうもんがある…はずなので
昨今、巷に流行る「自画自賛」は、いったんどこから来てるんか…と考えると
それは、「自画自賛」とは逆の「自信のなさ」の露呈ではないのかな…と、ぼくは感じるんです
(この記事にもそういう分析がしてありますよね)
自画自賛って言うたら、自分に自信があることの現れであるはずやのに、
逆に自信がなくなればなくなるほど、自画自賛傾向が強まってる…というのは
一見不思議な話ではあるんですけど、この両者は表裏一体…というか、実は補充関係になってて
「自信の喪失」という心情的マイナスを「自画自賛」で埋め合わせしようとする、
心理的「バランス感覚」やと思うんですね
(こういう補充関係は、前に書いた「劣等感」と「優越感」の関係にも似てますわ)
しかしながら、そういう前提でこの先のことを考えてみると、
中国との経済規模の差はどんどんひらく一方であるし、韓国との差は縮んでいく一方であるし…
ということで、ますます、心情的マイナスが大きくなっていき、
その大きくなった心情的マイナスを埋めるために、今よりもっと「自画自賛」傾向も強くなる…と
こういう、救いのない話になってしまうんですよね
(それに、同時並行で「嫌韓」「反中」傾向も強まっていくと予想されるし…)
そんでもね、国の経済的な規模なんてもんは、大きな世界史の流れから見たら
それこそ抜いたり抜かれたり…という話なので、そんなことにイチイチ過敏に反応することもないと思うし
「中国に抜かれる」、「韓国との差が縮まる」ことにだけ敏感に反応する…というのも
これまた、「中国や韓国は日本の下で当たり前」…という年配者の勝手な思い込みであるので
そういう勝手な思い込みを消すこと以外に、こういう悪循環を断ち切る道はないんやないでしょうか
これはぼくも含めての話なんですけど、今まではなんか、(何の根拠もなく経済的指標だけで)
「日本がアジアで一番」…なんていう「自明」がこの国にはあったように思うんですけど
こういう根拠のない「日本がアジアで一番」意識は、明治期から始まった「脱亜入欧」から始まって、
ぼくらの意識の奥底にしっかり沈殿してしまってるように思うんです
(→要するに「アジアでは欧米に一番近い国」だと勝手に思い込んで、他のアジア諸国を見下す意識です)
そんでも、冷静に考えてみれば
現在のガザ大虐殺に対する欧米政府の冷ややかな態度や
世界に武器を売りまくって(紛争の種まきをしてる)欧米政府を見てもわかるように
そういう「欧米に近い」ことが「高級な国」の証であるわけがない…のでありまして
「欧米」=「進んでる国」というイメージそのものを、
もっと疑ってかかることも必要やないのかな…なんてことを、ぼくは最近よく考えてますねん。。。
※
もちろん、欧米に見習うべきところは見習うことが必要ではありますが、それは欧米に限らず
すべての国に対して言えることですので、やっぱり「欧米」ということだけで相手を「崇める」ような、
機械的思考はもうそろそろ捨てないといけない時期に来てるように思います…
(→それを捨てられると、意外に、アジア人に対する差別意識も解消していくんじゃないでしょうか)
偶然にも、韓国の朝鮮日報日本語版にこんな記事が出てましたわ↓
日本社会に広まる「自画自賛症候群」、背景に韓中の成長
日本は今「『自画自賛』症候群」
放送・出版界、日本の優越性を強調…天皇制・靖国神社も賞賛
「原発事故や周辺国の勢力拡大に余裕のなさ露呈」
(朝鮮日報日本語版:2014/07/31)
日本人はたとえ表面上だけであっても、謙虚さを失わないことを「最高の美徳」としてきた。この謙虚さは経済力と共に、世界で日本が尊敬される重要な要素でもあった。ところが、その日本の美徳が急速に失われようとしている。世界で日本は最も優れていて、最も尊敬される国だと触れ回る「『自画自賛』症候群」が日本社会に広がっているためだ。
「嫌韓・嫌中」書籍を相次いで出してきた日本の出版各社は最近「日本はなぜ美しいのか」「日本は世界から尊敬されている」「世界が絶賛する日本人」「日本人に生まれて良かった」といった類いの本を競い合うようにして出している。日本の優越性を強調する内容の中には、とんでもないものも多い。イギリス在住の日本人が書いた『日本はイギリスより50年進んでいる』という本は「イギリスに住んでみたら、日本は天国だった」という内容になっている。著者は「イギリス人は肥満だが、日本人はスリムだ」「ロンドンには慢性の交通渋滞があるが、東京はそうではない」といったことを日本が優れている根拠として挙げている。
日本の優越性を証明するためなら外国人も動員する。人口3万人という小国サンマリノ共和国の駐日大使であるマンリオ・カデロ氏が書いた『だから日本は世界から尊敬される』は、天皇制や靖国神社に対し賛辞を並べ立てている。経済専門家らもこれに加わり、『そして日本経済が世界経済の希望になる』『負けない日本企業 アジアで見つけた復活の鍵』『もしも日本が消えたなら』といった本を出版している。
NHK BSは毎週『cool japan発掘! かっこいいニッポン』という番組で、外国人による「日本賞賛リレー」を放送している。日本テレビ、テレビ朝日はバラエティー番組にも外国人を多数出演させ、日本が住みやすい国であるということを強調している。
こうした動きに火を付けたのは政界だ。安倍晋三首相は「美しい国、日本」「この国に生まれたことを誇りにできるようにしたい」という言葉を口癖のように言い続けている。
東京新聞は30日「近ごろ日本を覆う『自画自賛』症候群は何の表れか」という記事で「近ごろ、本屋に立ち寄ると、気恥ずかしくなる。店頭に『日本人はこんなにすごい!』という『自画自賛本』が平積みにされているからだ。この国から『奥ゆかしい』とか『謙虚』といった感覚が急速に消えていっているように感じる。だが、そうした違和感を口にすると、どこからか『自虐だ!』という悪罵が飛んできそうだ」と書いた。新潟青陵大学大学院の碓井真史教授は「日本が圧倒的な経済力と技術力を誇っていた時代には謙虚さがあったが、大震災や原発事故、韓国・中国の台頭で余裕がなくなった」と分析した。恵泉女学園大学の高橋清貴特任准教授は「日本の自画自賛は周辺国に対する隠れた優越意識をあらわにしたもの」と話している。
ぼくも随分前から感じてましたけど、「嫌韓」や「反中」本の氾濫とともに、
最近、日本では、「日本はこんなにすばらしい」…という「自画自賛」が大流行ですわね
(これは何も出版物だけの話ではなくて、TVでもそんな番組が多いですよね)
で、ぼくは前回のエントリーでも書いたように、自画自賛ほど愚かしい行為はない…と思ってまして
こういう「自画自賛」現象を前から、「なんか、気味悪いなぁ…」と感じてたんです
そんでも、世の中、何事にも原因っちゅうもんがある…はずなので
昨今、巷に流行る「自画自賛」は、いったんどこから来てるんか…と考えると
それは、「自画自賛」とは逆の「自信のなさ」の露呈ではないのかな…と、ぼくは感じるんです
(この記事にもそういう分析がしてありますよね)
自画自賛って言うたら、自分に自信があることの現れであるはずやのに、
逆に自信がなくなればなくなるほど、自画自賛傾向が強まってる…というのは
一見不思議な話ではあるんですけど、この両者は表裏一体…というか、実は補充関係になってて
「自信の喪失」という心情的マイナスを「自画自賛」で埋め合わせしようとする、
心理的「バランス感覚」やと思うんですね
(こういう補充関係は、前に書いた「劣等感」と「優越感」の関係にも似てますわ)
しかしながら、そういう前提でこの先のことを考えてみると、
中国との経済規模の差はどんどんひらく一方であるし、韓国との差は縮んでいく一方であるし…
ということで、ますます、心情的マイナスが大きくなっていき、
その大きくなった心情的マイナスを埋めるために、今よりもっと「自画自賛」傾向も強くなる…と
こういう、救いのない話になってしまうんですよね
(それに、同時並行で「嫌韓」「反中」傾向も強まっていくと予想されるし…)
そんでもね、国の経済的な規模なんてもんは、大きな世界史の流れから見たら
それこそ抜いたり抜かれたり…という話なので、そんなことにイチイチ過敏に反応することもないと思うし
「中国に抜かれる」、「韓国との差が縮まる」ことにだけ敏感に反応する…というのも
これまた、「中国や韓国は日本の下で当たり前」…という年配者の勝手な思い込みであるので
そういう勝手な思い込みを消すこと以外に、こういう悪循環を断ち切る道はないんやないでしょうか
これはぼくも含めての話なんですけど、今まではなんか、(何の根拠もなく経済的指標だけで)
「日本がアジアで一番」…なんていう「自明」がこの国にはあったように思うんですけど
こういう根拠のない「日本がアジアで一番」意識は、明治期から始まった「脱亜入欧」から始まって、
ぼくらの意識の奥底にしっかり沈殿してしまってるように思うんです
(→要するに「アジアでは欧米に一番近い国」だと勝手に思い込んで、他のアジア諸国を見下す意識です)
そんでも、冷静に考えてみれば
現在のガザ大虐殺に対する欧米政府の冷ややかな態度や
世界に武器を売りまくって(紛争の種まきをしてる)欧米政府を見てもわかるように
そういう「欧米に近い」ことが「高級な国」の証であるわけがない…のでありまして
「欧米」=「進んでる国」というイメージそのものを、
もっと疑ってかかることも必要やないのかな…なんてことを、ぼくは最近よく考えてますねん。。。
※
もちろん、欧米に見習うべきところは見習うことが必要ではありますが、それは欧米に限らず
すべての国に対して言えることですので、やっぱり「欧米」ということだけで相手を「崇める」ような、
機械的思考はもうそろそろ捨てないといけない時期に来てるように思います…
(→それを捨てられると、意外に、アジア人に対する差別意識も解消していくんじゃないでしょうか)