アクセルよりも強くブレーキを踏むから進まない

なんか変な話なんですけど、ぼく、若いとき(→10代後半の頃)に、

「自分が老人になったら…」なんてことをぼんやり考えることがありまして

もちろん、そんな若いときには老人になったときのことを想像できるわけもないんですけど

一つだけ、思ってたことがあるんです


ぼくね、自分が老人になってから、もしなにか、

「新しい考え方(…とか、新しいやり方)」が世の中に出てきたとしたら、その流れに対して、

「ボクは今までこういう考えで生きてきたんだ」…とか

「(日本は)昔からこのやり方でずっとやってきたんだ」…とか、

そういう「理由になってない理由」で新しいことを否定して

若い人の足を引っ張っるような老人になるのだけはやめとこ…

なんてことを、ぼんやり考えとったんです


もちろん、「新しいこと」が「よいこと」である保障はないんですけど

新しいことが、「今のやり方よりも望ましいこと」であるのがなんとなくわかるのに

今までの考え方ややり方を変えるのが面倒だ…とか、あるいは

多少でも(理由なく)優遇されてた自分が、

その(理由のない)優遇を受けられなくなることで損したような気持ちになって

「新しくて望ましいこと」の邪魔をしてしまうというようなことはすまい…と、

そんなことを今でもずっと考えてるんです


今までの考え方ややり方を変える…というのは、たとえ老人でなくても、なんか、面倒くさいもんですけど

望ましい変化だと感じたなら、その「個人的面倒さ(や個人的損感情)」を自ら受け入れて

世の中がよりよい方向へ向かうことに多少の努力をしてみる…というのが

大人(老人)たるものの務めやないかな…と、ぼくは思ってるんです


そう…、おんなじ「しんどいこと」をするんやったら、「(よりよい方向への)前向きな努力」をするのが

「報われるしんどさ」であるとぼくは思うんですけど、

この国には、なぜか「後ろ向きの努力」に労力を惜しまない…という「変な力の使い方」をする人がいてて

そういう人は今もまた、「後ろ向きの努力」に毎日勤しんでるんです


こういう例えはあんまりしたないんですけど、

仮に、一人一人の人間の労力の総和が、国としての発展力やとすると

多くの人が「前向きな努力」に労力を注いだとしたら、

きっとこの国はよくなる…と、ぼくは固く信じてるんですけど、

この国の現状を見てると、多分、「前向きな努力」に労力を惜しまない人の数以上に

「後ろ向きの努力」に労力をつぎ込んでる人がいてるために、

この国がいつまでたっても前に進んでいかない…というコトになってるんやないかと、ぼくは思うんです



今ね、朝日新聞の「慰安婦報道の一部訂正」を受けて、政府が

「『客観的な事実』に基づく正しい歴史認識が形成されるための海外への情報発信」なるもんを

強化していく…なんてことを言うてるんですけど

こんなん、まさに「後ろ向きの努力」の典型やないですか


なんでこんな「後ろ向きの努力」に、時間と労力と税金をかけるんですか

どうせやったら、元慰安婦の方々や国際社会(≒国連)が求める慰安婦問題への対処に

時間と労力と税金をかけたらええやないですか


はっきりくっきり言うときますけど、政府与党がいくら時間と労力と税金をかけても、

彼らが言うところの「慰安婦に関する客観的な事実に基づく正しい歴史認識」なるもんが

海外に拡がることなんかありませんよ

(…というか、そういう後ろ向きの力を入れれば入れるほど、ますます
   「日本(政府)が過去の戦争を反省してないという『客観的事実』が海外で拡がる」だけですよ)


おんなじ「努力」をするなら、

前向きな方向に進むための「報われる努力」ってもんを、しようやないですか

そしたら、この国はきっとよくなる…

ぼくはそない信じてるんです。。。





安倍は、今日の衆議院の予算委員会において、慰安婦問題を巡る朝日新聞の一部訂正に関して

「この誤報によって多くの人々が傷つき、悲しみ、苦しみ、そして怒りを覚えたのは事実であります。
  日本のイメージは大きく傷ついたわけであります」

…と言うたんですけど、

「この安倍の言葉によって元慰安婦の方々や、良心ある人々が傷つき、悲しみ、苦しみ、そして
  怒りを覚えたのは事実であります。日本のイメージは大きく傷ついたわけであります」

…と、ぼくは答弁したいです


また、安倍は、朝日新聞の誤報によって

「日本が国ぐるみで性奴隷にしたという、いわれなき中傷が世界で行われている」

…とも言うたんですが、

「大日本帝国の軍隊(=皇軍=天皇の軍隊)が、軍隊ぐるみで(…ということは国ぐるみで)

  慰安婦制度(=性奴隷制度)を設けていた」…のは紛れもない事実でありまして

それを「中傷」だと言うのは、「歴史の書き換え」以外の何物でもありません

あなたが見つけたその道は…

小さい頃は、ただ毎日が楽しかった

友達と遊ぶだけで満ち足りていたからね


でも、小学校の低学年でも、そろそろ世の中が見えてくるもんで

それが高学年になると、かなりはっきり見えてくるもんで

中学になったら世の中は鮮明になってきたんだった


けど、ぼくは相変わらず学校がそれなりに楽しかったし

友達とも仲良く遊んでたんだった


高校はぼくにとって苦痛を感じる場所でしかなく

そこから一日も早く脱出したいと思ってたけど

途中で抜け出す勇気もなく、結局、卒業するまで大人しく通ってたんだった


社会に出てからは、周りを見る余裕もなくなり

気がついたらぼくの周りには友達が一人もいなくなって

それでもぼくは相変わらず、単調で忙しい毎日を繰り返してたんだった


ぼくはもともと、人生なんてものを真剣に考えないタイプの人間で

それは今でもほとんど変わってないんだけど

人生の目標…とか、夢…とか、自分が進むべき道…なんてものを見つけられないと

不安に思うのが人情だと思うんだよ

だから、ぼくみたいな「いい加減でゆるい人間」じゃなくて

それなりに人生に対して真面目な人は、「自分探し」をするんだろうって思うよ


でも、捜し物って、見つからないと余計にイライラするもんだから

「自分探し」の答えを見つけられないと、多分、余計不安になったり、焦ったりするのかも知れない…

だから、そういう不安や焦りを感じてる人が、

「わかりやすい答」に飛びつきたくなる気持ちもわからないではないんだけど

人生って多分、わかりにくいもんだと思うから

「わかりやすい答」は、そのほとんどが「デタラメ」だってことを

ぼくはみんなに言いたいんだよ


…ということで、こういう「デタラメ」を「答」だと早とちりしてほしくない…という思いで、

最後に、あるtweetを紹介します

ずっと疎遠になっていた知人が隣国の悪口を言うだけの生き物になっていた。わりとふらふらしてる人だったけど、生きる意味を見つけちゃったんだなあ。

片山さんは寂しかったんだよ

片山さつきさんは、きっと寂しかったんだよ

だって、あんなに頑張ったのに、大臣になれなかったんだから…

(そう、片山さんは、生活保護叩きで一生懸命頑張ってたんだった…)


片山さつきさんは、きっと寂しかったんだよ

だって、あんなに頑張ったのに、最近はメディアが全然取り上げてくれないんだから…

政治の世界は所詮、「目立ってなんぼ」の世界だもん

片山さんがいつも目立ちたいと考えてるのも無理はないさ


片山さつきさんは、きっと怖かったんだよ

このまま、その他大勢の政治家の一人になってみんなから忘れられてしまうことがね

だって、片山さんは官僚出身で、親から譲ってもらった「地盤・看板・カバン」を持ってないんだもん

何もしなくても当選が約束されてるような人…、そう、優子さんたちとは違うんだから…

(でも、それは片山さんに限った話じゃないけどね…)


それにさ、片山さつきさんが、いつも目立つネタを探してるのはわかってるじゃない

前は「生活保護叩き」だったけど、今回はそれが「御嶽山の噴火」に変わっただけさ

(そう言えば、片山さんもやっぱり在特会系の人たちとつるんでたことがあったんだけど

 大臣になったわけじゃなかったから、その扱いも小さかったしね…)


だからきっと、片山さつきさんは寂しかったんだよ、怖かったんだよ


政界は所詮、「目立ってなんぼ」…

目立てそうなネタを見つけたら、誰より早くそのネタにくいついて目立つのよ、

それがワタシの生きる道…ってことなんだよね、さつきさん?


でもさ、それはさつきさんの「哲学」(…というか、処世術)に過ぎないってコトに

そろそろ気づくべきじゃないのかな…

じゃないと、また今回のような失態を演じてしまうよ

(あっ、でも、今回のコトだって、片山さんにとっては

「目立つことができた成功例」の一つになるのかな…?)


・・・と、ぼくは片山さつきさんにインタビューしたわけでもないのに

ここまで「いい加減なこと」ばかり書いてきたんだけど

「いい加減さ」では片山さんも負けてないから、

これくらいの「いい加減さ」は大目に見てもらえるよね…?

それに、どういう取り上げ方であったとしても、

こうしてブログで自分のことを書いてもらえるってことを

片山さんは喜んでるかも知れないしね…